ひとりで生きる

他人の感性に触れていると、頭が割れそうになる。

自分の考えをどれも正しいなどと思ってはいないけれど、自分にとる「常識」に当てはまらない人間が多すぎる。

当たり前だ。結局全ては自分の物差しで測っていること。

 

それでも、

異性を見下した発言とか、正しい知識を持たない批判とか、

自分が正しいと勘違いして、簡単に他人を罵るとか。

そういうのには虫唾が走る。

 

どうしてそういう考えができるのか。

どうして簡単に人を傷つけられるのか。

 

彼等は結局SNSというネット上でしか発言にできない弱者だ。

匿名だから、相手を知らないから、何を言っても許されると思っている愚か者だ。

今やSNSを失っては成り立たない世界になってしまった気がする。

そこで始まる出会いもあれば、そこで終わる関係もあるのだろう。

 

目の前に対峙して、同じような発言ができるにかと問えば恐らく大半の人間が言葉を飲むだろう。

小さな画面とばかり睨み合い、小さな世界で驕り笑っている。

気味が悪い。

けれど私も、もうそれを手放すことはできない。

 

気分が悪くなっても、虚しくなっても、

自分の世界はもうそこにしかないのだという気さえしてしまうのだ。

 

悲しい。世の中はいつからこんなに、寂れてしまったのだろう。

 

活気溢れる商店街を失い、街を歩く人の殆どが小さな画面を見つめている。

誰かと馬鹿みたいに笑い合うこともなくなり、

下校中の小学生を見て懐かしさを覚える。

 

死に行くその日まで、私の世界はこの小さな箱の中だけなのだろうか。

 

話したいことすべて詰め込んで発信したって、

この世界に、私に興味を持つ人間はいない。

誰にも読まれぬボヤキがただ、流れ落ちていく。

拾われなかった感情は、捨てさられていくのみだ。

 

虚しくて、悲しくて、寂しい。

 

私は決して、ひとりでは生きてはいけないのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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SNSが嫌い。

でも依存症。

 

これでひとり書けるな。メンヘラちゃん